スポンサーサイト

--/--/--

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

「自由をつくる 自在に生きる」

2009/12/24

DSC05195.jpg

森博嗣先生の「自由論」と言うと難し過ぎるか。
帯を見ると啓蒙書?なんていう感じにも思われるのでしょうか。

「自由」を妨げる障害とは何か?
一つの大きな要素って自分なのでは?
といったあたりが「おお!」と思えることであり、
過去の小説の中にもそれを考えさせることが頻繁に書いてあったのかな、
なんて感じました。

俺は○○派。
俺はあれが嫌い。
俺はあれが好き。
出来るわけがない。
そういった決めつけ、
思い込みが自分の行動を自分で制限していませんか?
といったことだったかと。
以前も書きましたが、
「寂しいって、絶対的に悪いことですか?」
という問いかけにどれだけ救われたことか。
いつもいつも新しい何か、がある気がして読んでいる先生の作品。
こんな感じで後数冊出るようなのでそちらも楽しみです。

僕が思っている「自由」というものは「=不自由」というものです。
仮に「あなたを法律の対象外にします」なんてなったとします。
お金を払うこともなく色々な物を手に入れ、
気に入らない人間がいたら排除する。
「自由」と言えなくもない状況でしょう。
しかし、法に裁かれることはなくても、
そういった人間がいたら、確実に社会に逆に排除されてしまうでしょう。
社会の一員である以上、
何をどうしても「壁」は出来てしまう。
例え世界に一人になったとしても、
今度は欲しい物が手に入らない事態が生じるでしょう。
「作り手」が存在しないわけですから。
自分で作るにしても限度がある。
やっぱり「壁」が生じるのでは。
つまり、「自由」とはそれら「壁」の内側にしか存在し得ない。
その様に思うのです。
ここにさらに先生の言うように、
自分自身で勝手に「壁」を作ってしまうと、
小さな小さな「自由」しか感じられなくなるのでは。
どこに壁があるのか?壊せるものなのか?
自分で作ってるものはないのか?
こういったことを考えつつ、
広げる努力をしていくことでより感じられるものが「自由」でしょう。

昨年あたりから若い人に交じって頻繁にライブに行くようになりました。
こういうのだって、
何かの壁を破って拡大した、ささやかな自由かな、なんてね。

ではでは。


スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

HINAた

Author:HINAた
某鉄道会社勤務。
読書・QMA・映画が好き。

QMA3後半~QMA6まで、
HINA@カイルでプレイしてました。
twitterは、@hina0513です。

twitter
    follow me on Twitter
    新世紀のラブソング
    ソラニン
    ブクログ
    フリーエリア
    ブログ内検索
    ブロとも申請フォーム

    この人とブロともになる

    FC2カウンター
    上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。