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「θは遊んでくれたよ」を読む。

2008/07/18

森博嗣 「θは遊んでくれたよ」を読みました。
文庫での再読、となります。
研修には3冊持っていきましたが、結局この1冊しか読めませんでした。

いつものことですが、
とにかくいろいろと忘れていましたね。
犯人ですら、です(白字にしました)。
これだけで十分すぎるネタバレだと思いますので。

読み終えてぼんやりと考えたこと。
当たり前すぎてつまらん、と自分でも思えるのですが。

10人の村があって8人から迫害されている人がいたとします。
その人にとって、あとの1人が手を差し伸べた場合、どのように感じるか。
ありがたくてしようがない、という存在になるでしょうね。
もし嫌いな人だったとしても、
180°印象が変わって返って劇的に好きになる、なんてこともあるのでは。
極端な場合、「崇拝」ということにもなる、かな。
これが「危険」ではないかとふと考えました。
苦しい状況の中だと「どんな人間が、どんな思惑」で近寄ってきても、
縋り付いてしまうということになりがちなのかなと。
このシステムで成り立っているビジネスだったり、
宗教だったりもあるのかなと具体的な名前は思いつきませんが、
考えたりもしました。

大事な事というのは近寄ってくる人がいた場合に、
「状況」というものを意識の外に置く必要があるのではないか、ということ。
話のおいしい部分だけに注目するのではなく、
素の自分が付き合いたいと思う「価値」のある人間なのか?
を見ないといけないのではないでしょうか。
それがなければ突き放してしまえ!というのではありません。
絶対的な「善」と考えがちなものに対して、
「本当に?」というクッションを置く必要があるのではないか、ということ。

きちんとまとまっていないままなのですが、
これが帰りの新幹線で頭の中にあったこと。
特にきちんと決めなければいけないという理由もありませんし、
今後何か浮かぶこともあるかもしれませんしね。

作品の中で自殺してしまう人物がいますが、
彼にとっての「あとの1人」が「θ」であった。
それが、他はそうではなかったけれど、
「θは遊んでくれたよ」というメッセージに繋がった。
と、考えるのはあまりにも単純すぎて、的外れだとは自分でも思います。
無理に「意味」を見いだそうとすると、
それくらいしか思いつかなかった、ということです。

次も森作品、「モリログ・アカデミィ10」になります。




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HINAた

Author:HINAた
某鉄道会社勤務。
読書・QMA・映画が好き。

QMA3後半~QMA6まで、
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