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「科学的とはどういう意味か」

2011/09/14

森博嗣、「科学的とはどういう意味か」を読了。新書作品です。

「理系」、「文系」とも絡んでくるのかもしれませんが、
大雑把に本当に極端に表現すると、
「文系=主観重視」、「理系=客観重視」なのかもしれませんね。
自分自身はずっと文系人間だという認識でした。
なので、書店で「すべてがFになる」などいわゆる「理系ミステリィ」を見かけたときもタイトルだけで徹底的に敬遠してしまっていたものでした。
しかし、あるきっかけがあって読み始めてからは、
印象が一変してしまったことを覚えています。
「理系=理屈屋、人間味が無い」なんていうへっぽこな偏見程度ではあったのですがw
けれど、長々ぐだぐだと話が長くなるのはどうも文系の方ではないかと。
「根拠」が誰にでも分かる形ではないもの、
主観的な「思い込み」だけというような状態でバトルをしてもそりゃ決着が付かない訳で。
今の演技の芸術点は10点だ!
いやいやあの程度では8点だね!
っていうのに近いのでは。
それに対して、ボルト選手は100mを9秒5で走ったね、
日本人選手は10秒かかったね、
だから今現在は「ボルトは日本人より100m競争に関しては速いと言える」
こういう判断をする、できるように目指す、
というのが理系の基本姿勢なのかなと思ったりしたのでした。
「人間味」あたりは、こういった判定をするにあたっては邪魔以外の何者でもなかったりする訳で。

と、この作品中でも何度も触れられていますが、
「文系=悪、理系=善」なんて言っている訳ではないし、
僕もそのように考えている訳ではありません。
「理系というものを、科学を、あまりにも無根拠に遠ざけていませんか?」
「その自覚すらまるで無いのではありませんか?」
という問いかけではないか、そう思います。
「今現在知らないこと」自体は問題でもなんでもないのでしょうけれど、
「一切知ろうとする努力を放棄する」っていうのはいかがなものでしょう?ということでもあるか。
放射能から身を守るために必要なのは、
無根拠な政治家の「言葉」などでは決してないはず。
昨日「安全です」、今日「昨日の発言は誤りでした非常に危険です」
という発表があった場合に、
「実際の現地の危険度が変化した」訳では全くないのですよね。
数値は示されている。
それが信用できなければ複数情報を集めるべきでしょう。
数値の意味がわからなくてもそれを調べることはできるはず、聞くこともできるはず。
「誰かの言葉だけが頼り」という人と、
「できる限り主観によらないデータを集め、自分なりにでも判断をする人」
どちらが安全でしょうか?といった問いかけもあったような。
後者の場合も「誰かの言葉は採らない」という姿勢ではないんですよね。
篩にかける、という訳で。

何れ、森先生の作品に触れるようになってから、
「決めつけることの不自由さ」というものに目を向けることが以前よりはきちんと出来ている気がします。
良い悪いとか安全危険一切関係なく、
自分で自分を勝手に縛り付けるのは単純に「損」
思い当たることがある人は読んでみると目から鱗、
なんていうことがあるのではと思える本でした。
良かった。
ではでは。
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HINAた

Author:HINAた
某鉄道会社勤務。
読書・QMA・映画が好き。

QMA3後半~QMA6まで、
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