スポンサーサイト

--/--/--

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

「ηなのに夢のよう」

2011/01/23

森博嗣、「ηなのに夢のよう」文庫版を読みました。
ノベルスに続いて2回目。
いつも通り、中身は忘れまくっていました。

僕はミステリィ読みです、でした。
奇怪な事件、巧緻なトリック、犯人、
華麗な推理を披露する探偵、それを引き立てるワトソン役、
結末のどんでん返し・・・。
こういったものを求めて本を読み、
実際に予想通りの要素があることに安心しながら読むことが常でした。
しかし、段々と森作品を読むうちにそれがどれほど不自由な読み方なのか分かってきたような。
「動機の無意味さ」については随分前から書かれていたように思いますが、
そもそも「犯罪」「動機」「解決」がもう描かれなくなってきています。
でも、よく考えたらそれって極々自然なことのはず。
上記のような要素を描かなければならないなんていうルールは無い。
作者がそれを書きますなんてことも約束していない。
勝手にそういった枠があるものとして、
勝手に「動機がさっぱり分からない」とか文句を付ける。
「お話」の中でくらい「分かる」ようにして欲しいという気持もあるのでしょうけれど、
それもやっぱり読む側の都合なんですよね。
結局は安心したい、整理したい、単純化かしたい、ということか。
そういっ人間の傾向が、
作品中の「事件」にも大きく関わっているのだと、思いました。

「生きるとは?」「命とは?」なんていうのも作品中で語られることが多いような。
「自殺も自然なことである」
みたいなのがあって、
「崩れ落ちる崖の際にいて、ギリギリまで粘る人と、自ら飛び降りる人がいる」
その程度の違いであると。
崩れ落ちると思っているのかいないのか?
崩れ落ちることを知っているのか知らないのか?
でも随分違うのだとは思いますが。
「人間とは本能に従ってではなく、
理性があって尚且つ自分を殺すことをする、出来る『動物』である」
なーんて考えたら、
まあ「異常」という訳でもないのかもしれませんね。

あと、この作品って、
「Gシリーズ」なのですが、
「S&Mシリーズ」、「Vシリーズ」、「Xシリーズ」、
全てのシリーズ作品の登場人物が登場していクロスオーバー作品だったのですねぇ。
その豪華さに今更気が付いたのでしたw
前回も同じこと書いていたりしてw

どんな「死」の場面よりも、
○○○の死のシーンでは悲しい気分になってしまいました。
現実の方でも1人で勝手にそういう気分になったことを思い出しました。

これまた今更ですが、
シリーズの行き先が本当に楽しみ。
良かった。
ではでは。

スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

HINAた

Author:HINAた
某鉄道会社勤務。
読書・QMA・映画が好き。

QMA3後半~QMA6まで、
HINA@カイルでプレイしてました。
twitterは、@hina0513です。

twitter
    follow me on Twitter
    新世紀のラブソング
    ソラニン
    ブクログ
    フリーエリア
    ブログ内検索
    ブロとも申請フォーム

    この人とブロともになる

    FC2カウンター
    上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。